小学校、中学校、高校と僕たちは学校に行く、いや、行かされていると言っても
間違えではないかもしれない
僕は高校、専門と進んだけれど勉強が好きではなかった
勉強が好きでなかった理由は、勉強をしたくなかったからだ
子供なりに『ナゼ勉強をしなければならないのか、何のために勉強するのか』とか考えてみても
答えは見つからない。大人は言う、勉強しないと将来困るから
僕は勉強に対して明確な『意味』を求めていた
その答えが見つからず、意味もなく続ける勉強が嫌いになっていた
何のために勉強するのか
この問いに、多くの人は何と答えるのだろうか
僕が子どもを持つようになって、自分の子どもに同じことを聞かれた時に
何と答えればいいのか
今、僕は勉強することが好きだ
自分が興味を持っていること、そういう知識は自分から勉強をしなければ
知識がつかない。興味を持っていることについて勉強をすればその興味は一層深くなるかもしれない
勉強をすれば可能性やチャンスが広がるんだ!だから勉強をしたい
ある本を読んで、なぜ勉強をしなければならないかが書いてあった
将来、何の役も立たない勉強をやらされている、といった学生たちの不満うぃ実によく耳にする。
ある者は将来、商人になるつもりである。なのになぜ、何年間もラテン語やギリシャ語で悩まされる必要があるのかある者は将来、医学を勉強しようとしている。なのになぜ、何ヶ月も円錐曲線論で頭を悩まされなければならないのか。
教師連中は個人の志望している職業についてあまりに無知だから、結局、何の役にも立たないようなことばかり勉強しろと押し付けてくる。そう言った不満は、学生時代に大勢の人間が抱くものだ中略
勉強の最大の目的というのは人生を生きるうえで役に立つ道具として使えるような頭を作りあげることなのである。
あなたは今、味気なく骨の折れるおもしろくもない勉強を自分に強いている。その中には将来、役に立ちそうなことは何一つ含まれていない。確かにそうだろう。
しかし、である。もしそうした味気なく骨の折れるおもしろくもない勉強に取り組み、それをやり遂げることを自分自身の頭脳に課すことができれば、生涯自分で自分の頭脳をコントロールでき、どんな時でも自分の命令通りに働かせることができるというものある。引用終わり
つまり、学生時代に勉強する目的は、将来何かやり遂げるための忍耐力と、考える頭をつくること
これが最大の目的ではないか
僕はこの言葉を見た時、妙に納得した。
算数、数学、理科、科学、古典、古文、その他いろいろ
公式を使って解く、数式を計算、つまり考えることではないか。
考える頭をつくることが僕たちが大きくなったとき、自分の前に現れた問題や壁を乗り越えるために
考える力が必要になる、そういったことが本質なのかと
今でこそ思う
自分で勉強して、考える力があれば何だってできる
あの意味のないと思っていた勉強は、考えるための練習で僕が大人になってやりたいことをするための
そのための勉強なんだって。
勉強に意味はある
あのときの自分を思い出して、無駄にした時間も
こうして今考えるチャンスを与えてくれたと思い
今の自分を頑張るしかない